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前節までで、差し当たり本書の議論は尽くされている。 しかし、保守主義というテーマは、いかにも誤解され易いテーマであって、有り得べき誤解に対して、あらかじめ何等かの釈明を試みて措くことは、あながち無益ではなく、むしろ必要ですらある。 もし、そうであるならば、前節までの行論の中で、当然予想される誤解について、逐一予防線を張って措けばよさそうなものであるが、そうもいかない。 何故ならば、保守主義という言葉は、本論で問題としている議論領域を遥かに越えた、極めて多様なイメージを伴って用いられているのであって、保守主義を巡る誤解もまた、その多様なイメージに因って来るものだからである。 従って、保守主義を巡る誤解についての釈明は、本論の議論水準とは一段異なった、より広い土俵において為されねばならない。 本節では、本論に述べられた意味における保守主義が、自らの呼び醒ます多様なイメージの中にあって、一体何でないのか、すなわち、保守主義とは何でないかを論じることによって、保守主義を巡る幾つかの誤解に対するささやかな釈明を試みて措きたい。 保守主義、わけても新しい保守主義と言えば、いわゆる新自由主義(Neo-Liberalism)のことかと思う向きも、あるいは少なくないかも知れない。 たとえば巷間ハイエクは、新自由主義の泰斗ということにされている。 保守主義と自由主義との関係については、おそらく最も誤解の生じ易い論点であるに相違ないので、是非とも釈明して措かねばならない。 また、保守主義は、近代の産業主義と民主主義、あるいは合理主義と個体主義を根底的に批判する、反啓蒙の思想に外ならない。 それでは、保守主義は、たとえば環境社会主義(Eco-Socialism)に代表されるような、いわゆる反近代の思想なのであろうか。 保守主義と反近代主義との関係については、近代文明における保守主義さらには進歩主義の位置付けを迫る論点であり、是非とも釈明して措かねばならない。 さらにまた、保守主義は、何よりも社会・文化の伝統を擁護せんとする態度である。 従って、保守主義は、たとえば日本の社会・文化に固有な伝統をどのように捉えるか、といった問題を避けて通る訳にはいかない。 保守主義といわゆる日本主義(Japanism)との関係については、保守主義の近代文明における位置付けとも複雑に絡まった論点であり、是非とも釈明して措かねばならない。 本節では、以上の三つの論点について、極簡単に触れることにする。 いずれの論点も、かなり大きなテーマであることもさりながら、本節の狙いは、飽くまで本論に述べられた保守主義を巡る、有り得べき誤解を防いで措くことに限られるからである。 この20世紀末の現代において、保守主義と言えば、自由主義、わけても新自由主義を思い浮かべることは、むしろ当然である。 19世紀の最後の四半分に端を発して1970年代に至る、ほぼ一世紀の長きに亘って、進歩主義の旗印は、福祉社会主義あるいは民主社会主義さらにはケインズ主義を含む、最も広い意味での社会主義によって担われてきた。 20世紀は、経済的成長や社会的平等といった福祉(welfare)を目的として、経済社会を合理的に管理せんとする運動が、言わば最高潮に達したという意味において、まさに社会主義の世紀だったのである。 このような社会主義の進攻に直面した保守主義が、社会主義の対抗思想としての側面を持つ自由主義と、ほとんど分離不可能なまでに接近して見えたということは、あまりに当然である。 保守主義は、19世紀を通じて真剣を交えてきた当の相手である自由主義と、社会主義なる新たな敵を前にして、公然と手を結んだかに見えたのである。 ましてや、さいもの社会主義もようやく陰りを見せ、小さな政府や自由な市場を求める新自由主義の運動が、かなりの勝利を収めたかに見える、20世紀の最後の四半分において、保守主義が、社会主義による積年の抑圧から解放された喜びを、自由主義と共に分かち合っているように見えたとしても、また、極めて当然である。 社会主義との、ほぼ百年に及んだ戦いもひとまず終わり、勝利の美酒を同盟軍と共に酌み交わすひととき、といった具合である。 しかし、保守主義と自由主義との、このような同盟関係は、うたかたの夢に過ぎない。 何故ならば、自由主義とは、19世紀を通じて、保守主義と死闘を繰り広げて来た、進歩主義の尖兵に外ならないのであり、20世紀に入って、進歩主義の旗手たるの地位を、社会主義に追い落とされたと言えども、その啓蒙の嫡出子としての本質には、些かの変りもないからである。 蓋し、自然権としての個人の自由は、人間的自然としての理性による支配とともに、啓蒙の精神の求めて止まぬ処であった。 自由主義の、進歩主義としての性格は、言わば骨絡みなのである。 従って、20世紀における、保守主義と自由主義との接近は、社会主義の凋落が決定的となった今日においては、むしろ両者間の距離にこそ注目すべきなのである。 それでは、保守主義と自由主義わけても新自由主義は、いかなる点において重なり合い、また、いかなる点において袂を分かつのか、このことが問われねばならない。 ここで注意して措かねばならないことは、自由主義と呼ばれる社会思想の中には、必ずしも社会主義と対立せず、むしろ広い意味での社会主義に含まれると言った方が良さそうなものがある、ということである。 たとえば、個人の自由を(形式的にではなく)実質的に保障するためには、個人の自由に任せて措くだけでは全く足りず、国家が、社会に対して(消極的にではなく)積極的に介入し、これを合理的に管理せねばならない、とする類いの自由主義(※注釈:いわゆるリベラリズム=マイルドな社会主義)である。 このような自由主義は、なるほど自由主義を名乗ってはいるが、社会全体に対する合理的な管理を要請するという点において、むしろ広義の社会主義と呼ぶべき主張である。 因みに、このような自由主義は、バーリーンの言う積極的自由を称揚する態度であり、19世紀末には、新自由主義(※注釈:T.H.グリーンらのnew liberalism であり、neo-liberalism とは違うことに注意)と呼ばれた立場である。(世紀末には新自由主義が流行るようだ。) ここでは、このような自由主義を、社会主義に含めて考えることにし、自由主義としては言及しないことにしたい。 自由主義とは、差し当たり、他者による強制のない状態としての自由、すなわち、バーリーンの言う消極的自由を擁護する態度である。 従って、自由主義は、国家が社会全体を合理的に管理せんとする態度と両立しない。 何故ならば、社会全体を合理的に管理することは、たとえば社会全体の福祉といった目的を効率的に達成すべく、社会に内蔵する資源を動員し行為を配列することに外ならないのであって、それは、個人が、自らの資源と行為を自由に処分することと、真っ向から対立せざるを得ないからである。 言い換えれば、社会全体の合理的な管理は、国家による個人に対する何等かの強制、すなわち、国家による個人の自由の制限を、不可避的に含意しているのである。 もっとも、自由主義は、国家による個人に対する強制の総てを否定する訳ではない。 たとえば、個人の行為が、他者の自由を侵害して為される場合、国家が、その行為の差し止めや、他者に与えた損害の賠償などを、個人に強制することは、自由主義と言えども全く否定しない。 むしろ、自由主義とは、個人の自由を他者による侵害から保護することにこそ、国家の役割があるとする主張とさえ言い得る。 しかし、国家が、個人の(消極的)自由を、その侵害から保護することと、個人の(積極的)自由を、たとえば無知や貧困や失業やといった、その障害から解放するために、社会全体を合理的に管理することとは、全く異なる事態なのであって、自由主義は、前者の国家のみを肯定し、後者の国家を厳しく否定するのである。 従って、自由主義は、社会全体の秩序を、(他者の自由を侵害しない限りにおける)諸個人の自由な行為に委ねることになる。 すなわち、自由主義は、社会全体の秩序を、国家が合理的に設定するものではなく、諸個人の自由な行為の累積的な帰結として自然発生的に生成されるものである、と捉えるのである。 因みに、ハイエクの言う自由主義とは、まさにこの意味における自由主義に外ならない。 ハイエクは、社会を合理的に設定された組織として捉える、最広義の社会主義に抗して、社会を自然発生的に生成された自生的秩序として捉える、このような自由主義を擁護するのである。 この意味における自由主義が、保守主義とほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 すなわち、この意味における自由主義は、社会を合理的に管理せんとする進歩主義に対抗する、保守主義の一局面そのものなのである。 しかし、そうであるからと言って、自由主義のあらゆる局面が、保守主義と一致する訳では必ずしもない。 自由主義には、社会を、個人の意図や情緒や欲求やに還元し得るし、また、すべきであるとする傾きが、避け難く存在している。 たとえば、社会のルールとしての法を、自然権を保有する自由な諸個人の合意に還元する、社会契約論や、さらには、社会のルールとしての法を、何ものにも制限され得ない自由な主権者の意志に帰着する、主権論といった、近代啓蒙の個体主義は、いわゆる自由民主主義として、今日なお、自由主義の内にその命脈を保っている。 自由主義は、なるほど、近代啓蒙の合理主義に対して、保守主義とその批判を共有しているのであるが、しかし、近代啓蒙の個体主義に対しては、必ずしも一線を画してはいないのである。 この意味において、自由主義は、依然として、進歩主義の一翼を担っている。 因みに、急進的な自由主義が、何ものにも制限され得ない国民主権を標榜する、無制限の民主主義に変転する例は枚挙に暇がない。 個人が自らの行為を自由に選択し得るとするならば、自らの属する社会の制度もまた、自らの自由な同意に基づいて選択されるべきだ、という訳である。 保守主義が批判するのは、まさに、このような無制限の民主主義に外ならない。 なるほど、保守主義にとっても、個人の行為は自由に選択され得るものであり得るが、しかし、社会の制度全体は、個人の行為を可能にする前提となりこそすれ、個人の合意によって自由に選択され得るものでは決してあり得ない。 従って、保守主義は、このような無制限の民主主義を帰結する、いわば社会契約論的な自由主義とは、全く両立し得ないのである。 因みに、ハイエクは、このような無制限の民主主義を峻拒している。 すなわち、ハイエクもまた、保守主義と同様に、社会契約論的な意味における自由主義とは、ついに両立し得ないのである。 従って、保守主義は、社会を諸個人の自由な行為の累積によって生成される秩序として捉える、言わば自然発生論的あるいは慣習論的な自由主義とは、ほとんど過不足なく重なり合うが、社会を諸個人の自由な意志の一致によって設定される秩序として捉える、社会契約論的あるいは自然権論的な自由主義とは、全く両立し得ない。 また、保守主義が、社会を諸個人の欲求の自由な実現のために(国家が)制御すべき対象として捉える、いわゆる功利主義的な自由主義(ここでは社会主義に含めた)と、鋭く対立していることは言うまでもない。 言い換えれば、保守主義は、自由主義のヒューム的(慣習論的)な伝統には極めて親しいが、そのロック的(自然権論的)な伝統、さらには、そのベンサム的(功利主義的)な伝統には全く疎遠なのである。 現代における自由主義の復興は、そのベンサム的な伝統を排除することにおいては、なるほど意見の一致を見ているが、そのヒューム的な伝統あるいはロック的な伝統のいずれを継承するかについては、必ずしも意見の一致は見られない。 ハイエクのようにヒューム的な伝統に棹さす者もいれば、ノージックのようにロック的な伝統の嫡流たらんとする者もある。 いずれにせよ保守主義は、自由主義あるいは新自由主義のあらゆる潮流と手を結び得る訳ではない。 保守主義は、自由主義のただ一つの潮流とのみ与し得るのである。 あるいは、そのような自由主義は、自由主義の一つの潮流であると言うよりも、むしろ保守主義そのものであると言うべきなのかも知れない。 蓋し、自由主義のヒューム的さらにはバーク的な伝統こそが、保守主義の本流を形成してきた当のものに外ならないとも言い得るからである。 保守主義は、近代の産業主義と民主主義、あるいは、啓蒙の合理主義と個体主義を懐疑する、反啓蒙の思想である。 それでは、保守主義は、近代文明を否定しまた超克せんとする、反近代の思想であるのか。 ここに、保守主義を巡る、最大の陥穽が潜んでいる。 本書で明らかにしたかったことは、啓蒙の合理主義と個体主義とが、あたかも、その最も誇るべき価値であるかのように見なされている近代社会と言えども、社会という事態である限り、啓蒙の合理主義と個体主義とによってはついに捉え得ない、第三の性質を俟って始めて存立し得るということである。 すなわち、近代文明もまた、一個の文明である限り、啓蒙の精神の最も忌み嫌う、何等かの伝統に係留されて始めて存続し得るのである。 従って、反啓蒙の思想は、必ずしも反近代の思想ではあり得ない。 むしろ、反啓蒙の思想は、近代という社会の存立の秘密に接近し得る、ほとんど唯一の思想なのである。 この反啓蒙の思想と反近代の思想とを取り違えた処に、保守主義を巡る、幾多の悲喜劇が生じたのであった。 なるほど、保守主義を貫く反啓蒙の精神は、時として、近代文明そのものを拒絶しているかのようにも見受けられる。 たとえば、バークが、フランス革命を否定するに当たって、あたかも、中世への復帰を唱導しているかのように見える処がない訳ではない。 あるいは、日本において、伝統への回帰が語られる時、あたかも、古代の復古が号令されているかのように見えることもないとは言えない。 しかし、真正の保守主義は、いまここに生きられている社会をこそ、その存立の秘密の顕わとなる深みにおいて肯定せんとする営みなのであって、いまここに生きられている社会を、少なくともその最深部において否定し去ることなど決してあり得ないのである。 いまここに生きられている社会とは、差し当たり、近代社会の外ではあり得ない。 あうなわち、保守主義は、反啓蒙の精神を採ることによって、いまここに生きられている、近代という社会を、その存立の深みにおいて肯定せんとしているのである。 しかし、そうであるからと言って、近代を肯定することは、古代や中世を否定することでは些かもない。 真正の保守主義は、近代の社会を存立させている秘密と、古代や中世の社会を存立させていた秘密とが、それほど違ったものではあり得ないことを、重々承知しているからである。 社会を存立させる秘密の顕わとなる、その最深部においては、時代の如何に拘わらず、常なるもの、すなわち、伝統が、生きられているのである。 啓蒙の精神とは、古代や中世やさらには近代において生きられている伝統の一切を否定して、人間の理性と個人の自由の下に、全く新しい社会、すなわち、彼らの言う近代社会を建設せんとする試みに外ならない。 保守主義は、啓蒙の精神を懐疑することによって、古代や中世の伝統を生きられたそのままに肯定する一方で、それが、近代社会の存立をその最深部において支えている伝統と、それほど遠いものではなく、むしろ、密かに連なりさえしていることを承認するのである。 すなわち、保守主義は、生きられている伝統を擁護することによって、啓蒙の進歩主義ばかりが如何にも目立つ近代文明を、その最深部において肯定しているのである。 従って、保守主義は、反近代主義ではあり得ない。 保守主義は、たとえばマルクス主義や国家社会主義のように、近代の超克を志している訳でもないし、たとえばロマン主義や環境社会主義のように、前近代の桃源郷を夢見ている訳でもない。 マルクス主義や国家社会主義は、反近代を標榜しているにも拘わらず、実は最も急進的な合理主義を帰結するという意味において、まさしく啓蒙の嫡出子と呼ばれるに相応しいし、ロマン主義や環境社会主義は、なるほど反啓蒙の思想ではあるが、近代文明の唯中に、帰るべき常なるものを見出し得なかったという意味において、ついに反近代の思想でしかあり得ない。 マルクス主義や国家社会主義は言うまでもなく、ロマン主義や環境社会主義もまた、ついに保守主義ではあり得ないのである。 さらに、わけても環境社会主義は、たとえばエコロジーや反原発といった、その反近代の運動において、極めて急進的な個体主義の様相を呈することが、少なくないのであって、むしろ、啓蒙の自然権論を体現していると言っても、ほとんど言い過ぎにはならないのである。 総じて、マルクス主義や国家社会主義、さらには環境社会主義をも含む、比較的狭い意味における社会主義は、最も急進的な啓蒙主義以外の何ものでもない。 保守主義は、このような反近代の仮面を被った啓蒙主義とは、決して両立し得ないのである。 保守主義は、人間とその社会が、何等かの伝統に係留されて始めて存立し得ることを強調する。 しかし、社会やあるいは文化の伝統とは、(本書に述べられた《遂行的なるもの》であるがゆえに)その具体的な様相に一歩でも踏み込もうとするならば、それが遂行されている地域や歴史に相対的なものとして示されざるを得ない。 すなわち、具体的に生きられている伝統は、たとえば、イギリスの伝統であり、日本の伝統であり、あるいは、東京の伝統であり、京都の伝統であり、はたまた、西ヨーロッパの伝統であり、東アジアの伝統なのである。 従って、保守主義が伝統を擁護すると言った場合、その擁護すべき伝統は、具体的には、何等かの地域や歴史に固有な伝統であらざるを得ないことになる。 言い換えれば、保守主義は、具体的には、地域あるいは歴史に固有な保守主義としてしかあり得ないのである。 従って、たとえば日本において保守主義を語ることは、取りも直さず、日本において生きられている伝統を擁護する、日本に固有な保守主義を語ることに外ならない。 それでは、そのような保守主義は、自文化中心主義、ナショナリズム、あるいは日本主義と、どこが違うのであろうか。 日本の保守主義など、皇国主義と大同小異ではないのか。 このような疑問が当然に生じて来ると思われる。 さらに、このような疑問は、日本に特徴的なもう一つの事情によって、いよいよ深まらざるを得ない。 なるほど保守主義は反啓蒙の思想であった。 しかし、そもそも啓蒙思想とは、西欧近代において誕生した、西欧近代に固有の思想に外ならない。(もっとも、啓蒙思想が西欧に固有な思想であるか否かは、なお検討すべき課題である。) 西欧近代は、その色鮮やかな表層のみに目を奪われるならば、あたかも、啓蒙思想一色によって塗り潰されているかのように見受けられる。 言い換えれば、保守主義は、反啓蒙の立場を採ることによって、反西欧の態度を帰結するのではないか。(保守主義が、反近代の態度を帰結し得ないことは既に述べた。) すなわち、保守主義は、その西欧における機能はいざ知らず、日本を含む非西欧においては、啓蒙という名の西欧文化中心主義あるいは西欧文化帝国主義に対抗する、反西欧の思想として機能しているのではないか。 このような推測のしばしば行われていることも、無下には否定し得ない。 もし、このような推測が、当を獲たものであるとするならば、日本の保守主義は、反西欧主義という意味において、ますます日本主義に接近するのではないか。 なるほど、日本主義は、近代の合理主義と個体主義との対極にあるとされる、日本の伝統に立脚した、反啓蒙の思想であることには間違いない。 しからば、日本の保守主義は、反啓蒙の伝統文化の咲き誇る東亜の盟主として、啓蒙の革新文明に堕落したあ西欧に宣戦すべきなのであろうか。 しかし、ここで想い起こすべきは、保守主義が、反近代の思想ではついにあり得ないということである。 すなわち、保守主義が、伝統を擁護すると言った場合、そこで語られている伝統は、いまここで生きられている近代社会の存立を、その深層において支えている伝統に外ならないのである。 従って、日本の保守主義が、日本の伝統を擁護すると言った場合、そこで語られている伝統は、いまここに生きられている日本近代の存立を、その深層において支えている伝統の外ではありえない。 言い換えれば、日本の保守主義は、近代文明の日本における顕現を、その深層において、肯定しているのである。 現代の日本において生きられている社会が、紛れもなく近代社会である以上、日本の保守主義は、日本の近代社会に、肯定すべき何ものかを見出さざるを得ない。 保守主義とは、そういったものなのである。 従って、日本の保守主義は、日本の伝統を、それが反近代であるから擁護するということでは些かもない。 むしろ、それが日本近代の存立に不可欠であるからこそ擁護するのである。 この間の事情は、西欧においても全く変わりはない。 たとえば、イギリスの保守主義は、イギリスの伝統を、それがイギリス近代の存立に不可欠であるからこそ擁護するのである。 このように言えば、イギリスの伝統と日本の伝統とは全く違う、といったお馴染みの議論がすぐにでも思い浮かばれよう。 もとより、イギリスの伝統と日本の伝統とが同じである筈もない。 しかし、近代文明における反啓蒙の橋頭堡という意味においては、彼我の伝統は、いわば機能的に等価なのである。 すなわち、近代文明における啓蒙の精神は、近代文明の圏内においては、ほとんど同一であり、その意味において、普遍的である。 さらに、近代文明が、啓蒙の精神のみによっては存立し得ず、反啓蒙の伝統を俟って始めて存立し得るという事態もまた、普遍的である。 しかし、近代文明の存立に不可欠な反啓蒙の伝統が、具体的に何であるかとなると、これは、近代文明の圏内においても、様々であり得る。 すなわち、近代文明という、いわば地球大の文明の存立に不可欠な伝統は、近代文明の圏内にある様々な文化に固有な伝統以外ではあり得ないのである。 言い換えれば、近代文明とは、それを担う様々な文化に固有な伝統を前提として、始めて可能であるような文明なのである。 従って、近代文明において、啓蒙の進歩主義は、なるほど普遍的であり得るが、反啓蒙の保守主義は、反啓蒙という一点を除いては、決して普遍的ではあり得ない。 近代の保守主義は、反啓蒙という機能においては等価であるが、それを担う実体としては異文化である、固有の伝統のいずれかに係留されざるを得ないのである。 これは、社会あるいは文化の伝統が、本書に述べた《遂行的なるもの》であることの、ほとんど必然的な帰結である。 このような立論は、近代文明と西欧文化との間に如何なる差異も認めない向きにとっては、なかなか理解し難いものであろう。 しかし、近代文明とは、ほとんど全地球を覆う、優れて普遍的な文明なのであって、西欧文化や日本文化をも含む、極めて多様な文化あるいは社会によって担われている、と考えることはそれほど無理なことであろうか。 古代や中世の歴史においては、単一の普遍な文明が、多数の固有な文化あるいは社会によって担われている例は、枚挙に暇がない。 中国文明、インド文明、イスラム文明、ギリシア・ローマ文明など、総て、そのような文明の例である。 そもそも、文明と呼び得る程にも普遍的であり得るためには、その内部に少なくとも複数の分化あるいは社会を包含していることが、ほとんど必須の条件であると言ってもよい。 近代文明もまた、そのような文明の一つなのである。 従って、西欧の社会も、日本の社会も、それが近代文明を担っている社会の一つであるという点においては、些かの相違もない。 しかし、それらの社会が、近代の社会として存立するに当たって、具体的に如何なる伝統を不可欠なものとしているかについては、それぞれに固有の事情が介在しているのである。 たとえば、イギリスの近代社会の存立に当たって、間柄主義の伝統の不可欠である筈もなく、あるいは、日本の近代社会の存立に当たって、アングリカニズムの伝統の不可欠である筈はない。 いずれにせよ、近代の保守主義は、普遍的な近代文明の存立にとって不可欠な伝統を、個別的な地域文化に固有な具体性の中に見出していかねばならないのである。 このような保守主義が、単純な自文化中心主義やナショナリズム、あるいは反西欧主義や日本主義に、そう易々と陥り得ないことは明らかであろう。 保守主義は、いまここに生きられている社会が、近代文明の下にある社会であることを、よく承知している。 さらに、保守主義は、自らの社会に固有な伝統を擁護することが、近代文明の下にある総ての社会にとって、不可避の要請であることも、また、よく承知している。 従って、保守主義は、自らの固有な文化が、近代文明の下にある総ての社会において、生きられるべき普遍の伝統となり得るなどとは夢にも想わない。 ましてや、保守主義は、自らの固有な文化が、近代文明それ自体と対抗せざるを得なくなるとは、全く考えもしない。 保守主義は、自文化中心主義やナショナリズム、さらには反西欧主義や日本主義では、ついにあり得ないのである。 しかし、そうは言っても、近代文明と、それを担っている地域文化、わけても西欧文化との判別は、かなり複雑な課題である。 どこまでが近代文明の普遍的な特徴であり、どこまでが西欧文化の個別的な特徴であるかは、極めて識別の困難な課題なのである。 従って、西欧の保守主義はいざ知らず、日本の保守主義は、近代文明の唯中に極めて分離し難く纏わり付いている西欧に固有な伝統と、自らに固有な伝統との葛藤を引き受けねばならない。 近代文明の下における、地域文化相互間の葛藤は、依然として開かれた問いなのである。 しかし、近代文明が、地域的な固有文化を超えた、全地球的な普遍文明であり得るとするならば、この問題は、必ずや解決されるに相違ない。 そのとき、保守主義の擁護すべきは、地球文明の存立にとって決して逸することの許されない、全地球的に生きられる言わば普遍の伝統であるのかも知れない。 そのときに在っても保守主義は、地球文明のキー・ストーンとして、なお生きられねばならないのである。
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Q: 659 ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン 2007/12/11(火) 09 39 07 ID CBjK6JgE 古龍の角が龍属性の武器でないと破壊できなかったり ラージャンの尻尾が氷属性の武器で怒り中しか破壊できない 仕様が理不尽です。 物理的に強い衝撃や切断作用が及べば属性の無い武器でも 破壊できても良いはずです。 A: 660 ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン 2007/12/11(火) 15 57 38 ID oPFXx95/ 659 実は特定の属性でなくても折ったり切ったりすることは可能です。 が、その場合、対象モンスターのHPを大きく上回るダメージを与えなければならないのです。 どれだけモンスターの腕を斬りつけても、腕が切れたなんてことはないでしょう? それほどモンスターの体は本来強固なものなのです。 しかし、例えば硬い氷塊に、熱した鉄棒を当てれば簡単に貫通させることができます。 単なる鉄棒ではそうはいきません。 つまりはそういうことです。 属性 部位破壊
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密林の村 ラムザ ジャングルに囲まれた立地は周囲に非常に危険な生物の存在を匂わせる。 危険度の高い場所でもあるが、独自の工芸技術を持つ職人が多数おり 来訪者があとをたたない ◆こじか亭 ○挨拶 ナマステ〜。ラムザの山菜を使った特製ベジタブルカレー最高ネ! モンスターもまっしぐらヨ! ○メニュー チキンカレー 5コイン エナジーを15回復します マトンカレー 10コイン エナジーを30回復します 特製ベジタブルカレー 15コイン エナジーを45回復します ◆ガンショップむげん ○挨拶 飛び道具ならあたいに任せな! あたいの銃ならどんなボンクラもたちどころに鷹の目さ。 ○メニュー 「イグニスクロスボウ」のレシピ 攻撃力14~28 属性:火 Lv26 費用3900Lb レシピ難易度 1300 基本成功率 32% 打ち出す弾を発火させるクロスボウ 装備可能クラス:弓戦士 元になるアイテム:クロスボウ 必要アイテム:ダマスカスソード 龍の魔石×2 炎龍の魔石×1 「雷弓ファルコ」のレシピ 攻撃力8~36 属性:雷 Lv26 費用5250Lb レシピ難易度 1750 基本成功率 27% 電光の一撃を繰り出す雷神の弓 装備可能クラス:弓戦士 元になるアイテム:コンポジットボウ 必要アイテム:一文字手裏剣×1 龍の魔石×4 氷龍の魔石×1 「氷銃ハウギガン」のレシピ 攻撃力8~48 属性:氷 Lv33 費用6600Lb 目標を冷気で破壊する氷の魔銃 装備可能クラス:弓戦士 元になるアイテム:氷弓スティング 必要アイテム:マスケット×1 龍の魔石×1 氷龍の魔石×2 「ラグナルクロスボウ」のレシピ 攻撃力16~34 属性:雷 Lv30 費用7800Lb 雷神のクロスボウ 装備可能クラス:弓戦士 元になるアイテム:雷弓ファルコ 必要アイテム:ジャベリン×1 龍の魔石×1 飛龍の魔石×2 「炎銃ガガルガン」のレシピ 攻撃力10~52 属性:火 Lv34 費用9600Lb レシピ難易度 3200 基本成功率 13% 全てを焼き付くす破壊の銃 装備可能クラス:弓戦士 元になるアイテム:イグニスクロスボウ 必要アイテム:鉞×1 ガストラフェテス×1 龍の魔石×2 氷龍の魔石×3 「タスラム」のレシピ 攻撃力16~34 属性:光 Lv31 費用11400Lb 太陽の聖なる力が埋め込まれた投擲武器 装備可能クラス:竜騎士 戦士 弓戦士 元になるアイテム:炎刃フレイムエッジ 必要アイテム:ハチェット×1 雷弓ファルコ×1 龍の魔石×4 氷龍の魔石×3 「雷帝の衣」のレシピ 防御力9 属性:雷 Lv31 費用9300Lb 落雷地に採取される雷精の繊維で織られる服 装備可能クラス:竜騎士 戦士 魔法戦士 弓戦士 聖職者 魔道士 元になるアイテム:ウォーロックローブ 必要アイテム:パストラルスタッフ×1 雷精のサークレット×1 龍の魔石×1 飛龍の魔石×3 名前 コメント
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このサイトは2ch内「創価でない芸能人・有名人」をまとめたものです。 現行スレ■■■創価でない芸能人・有名人~Ver.6 ■■■ 参考創価・公明板@まとめサイトwiki-@芸能人総合 1、「第三文明」「潮」「灯台」「Pumpkin」に載ったからって創価学会員とは限りません。 (最近では、おぎやはぎが「第三文明が創価の雑誌とは知らなかった」と否定している) 2、「聖教新聞」に載っても学会員ではない場合もある。 (例:朝青龍) 3、「聖教新聞」や創価系雑誌にプロフィールや信仰について触れられていたら学会員と見ていい。 4、赤黄青はこじつけの可能性もあるので、グレーにとどめておくべき。 5、芸能界は創価以外にも無数の新興宗教の信者やヤクザの存在で汚染された危険な業界。 6、「内海研究所」は信用するな! (あのデータは「マルコポーロ」1995年2月号に掲載されたデータに脳内情報を補足して捏造したもので信憑性ゼロ。悪質なガセネタ屋には気を付けろ!) 7、単に他宗教・政党の機関紙に載ったというだけでは非創価と認定することはできない。 日本共産党機関紙「赤旗」に載った上戸彩や、立正佼成会の雑誌に載った氷川きよしの例もある。 8、他宗教のイベントに仕事で参加したからと言って非創価とは断定できない。 現在の創価学会は謗法(ほうぼう)容認路線(他宗教ととりあえず共存路線)なので、 仕事なら神社にだって参拝するし(氷川神社に参拝した氷川きよし)、豆まきだってやる (2004年に高幡不動尊で豆まきをしたパパイヤ鈴木、2005年に成田山新勝寺で豆まきをした上戸彩・滝沢秀明・石原さとみ)。 「学会員は鳥居をくぐらない」といわれていたのは昔の話。 9、非創価系宗教の学校を卒業しているというだけでは非創価と断定することはできない。 青山学院大中退のサザンオールスターズ元メンバー・大森隆志の例もある。 10、「会合で見た」「学会員から聞いた」「学会員の友達から聞いた情報」などはソースにはならない。 学会員の願望で学会員認定したがる工作員、またアンチ著名人による印象操作のための虚偽情報などがある。 11、きっこのブログはソースとして認めない。 12、「面白くない」「売れてない」のに「急に出てきた」「露出が多い」という自分の思い込みでしかない勝手な理由で芸人をソースも無しに疑うことはやめること。 同じく「歌が下手だから」「歌(曲)が気に入らない」「演技が下手だ」「不細工だ」「露出が多い」という自分の思い込みでしかない勝手な理由でソースも無しに疑うのはやめること。 13、ラジオ番組などの、提供が創価でも出ている人間が創価とは限らない。 14、学会員確定(疑惑段階も含む)の芸能人と共演するだけでは確定するソースにならない。 15、このサイト内の情報も100%正確なものではない。 16、発言が「創価(宗教)臭い」という思い込みで安易に創価認定してはいけない。 17、芸能人の子供の頃の神社・教会に纏わるエピソードは非創価決定のソースにならない。 (芸能界に入ってから創価に入信した久本雅美の例もある。) 18、学会員と結婚したというだけで、その芸能人を安易に創価認定してはいけない。 (松山千春や上田正樹と「信仰上の問題が原因」で離婚した朝本千可の例もある) 今日の訪問者数 - 昨日の訪問者数 - 合計の訪問者数 -
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曲名 ありそうでないなさそうであるよ BPM 183.62 難易度 かんたん ふつう むずかしい おに 裏譜面 ★1 ★1 ★5 ★8 ★10 作成者 作曲 不明 作詞 不明 譜面作成 たつきん ジャンル バラエティ ダウンロード Download(uploader.jp) Download(box)
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密林の侵入作戦 ニューデイズ緑林を経由、グラール教団寺院でアダーナ・デガーナを倒すミッション 受注場所 ○○○ ランク 受託条件 エネミーLv C なし ??~ B Lv??以上 ??~ A Lv??以上 ??~ S Lv??以上 ??~ S2 Lv??以上 ??~ MAP 報酬 C 評価S:メセタ pt 評価A:メセタ pt 評価B:メセタ pt 評価C:メセタ pt B 評価S:メセタ pt 評価A:メセタ pt 評価B:メセタ pt 評価C:メセタ pt A 評価S:メセタ pt 評価A:メセタ pt 評価B:メセタ pt 評価C:メセタ pt S 評価S:メセタ pt 評価A:メセタ pt 評価B:メセタ pt 評価C:メセタ pt S2 評価S:メセタ pt 評価A:メセタ pt 評価B:メセタ pt 評価C:メセタ pt 拾える主なレア ランクC ほああああああ(堀江由衣) ボス箱ドロップ エリアドロップ ランクB ランクA ランクS ランクS2
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笹川堯(自民党総務会長) 2009年3月7日(倉敷市の講演会にて) 「女性議員、上品でない」笹川氏、また失言 岡山で 自民党の笹川堯総務会長は6日、岡山県倉敷市での講演で「国会議員もどんどん女性が出てくるといい。いいんだけどね、やっぱりちょっと、あまり上品ではない、と思います」と述べた。笹川氏はこれまで、女性差別と受け取れる発言を繰り返している。 笹川氏は倉敷市の伊東香織市長を「大変すばらしい女性の市長」と持ち上げたうえで、こうした発言をした。 笹川氏は昨年9月、米議会下院の金融安定化法案否決を受けて「下院議長は女性。それで破綻した」と発言。同12月には小渕少子化担当相について「なぜ(担当相に)なれたか。子供を生んだから」と述べた経緯がある。(2009年3月7日朝日新聞) 「男性議員、上品でない」のはわかりきったことだが、笹川がこう発言した文脈そのものもいかしてる。女性市長を「すばらしい」とほめた直後に、彼女に面と向かって女性の政治家は「上品ではない」と断言したわけだから、よほど伊東市長が笹川にとって下品に映ったのだろう。しかも伊東氏個人の問題を「女性一般」の問題にすりかえて女は下品だと主張してしまう大胆さに、彼らしさがうかがわれる。 (by Baleen) 黄色に描かれる西洋人―思想史としての西洋の人種主義 英語の迷言・放言・大暴言 (丸善ライブラリー)
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ミリP「おっぱい膨らんでない?」 執筆開始日時 2015/06/21 元スレURL http //ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1434643213 概要 P「……」パソコンジーーッ P「あの、音無さん」 小鳥「なんでしょう、プロデューサーさん」 P「今の正確なバストサイズ教えてください」 小鳥「張り倒しますよ?」 タグ ^音無小鳥 ^天海春香 ^如月千早 まとめサイト えすえすゲー速報 えすえすログ えすえすMode ポチッとSS!! SSまとめ ホライゾン みりえす!-ミリマスSSまとめブログ- SS古今東西 SSびより SS 森きのこ! wiki内他頁検索用 コメディ ミリオンライブ 天海春香 如月千早 音無小鳥
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ランサーズのタスク これで文章を自由に書いてください というのをやっているのですが、 それを読んでいると 自分が気がつかない、体験していない文章が出てきます。 凄いと思います。 悩みのキーワードって自分だけでは思いつかないですね 今日は500m泳ぎました。 かなり嬉しかったです。 さて、午後のお仕事 ちょっとモチベーションが下がっていますが 単純作業からはじめます。 あとマラソンの練習がありますが 膝痛を少し感じているので 今日はお休み 少し立ち飲み屋で飲んで帰るかな。 でも、 紙にやるべきことを書いていると 仕事やっちゃうね、なぜか この作戦いい感じです。
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セントラル越前@越前藩国 の発言 こんばんは。24時より生活ゲームの予約を頂戴しておりました。 少し早めですが、よろしくお願いいたします。 芝村 の発言 記事どうぞー 芝村 の発言 イベント選択も セントラル越前@越前藩国 の発言 http //cwtg.jp/ogasawara/wforum.cgi?no=2848 reno=2438 oya=2438 mode=msgview セントラル越前@越前藩国 の発言 【予約者の名前】32-00622-01:セントラル越前:越前藩国 【実施予定日時】2008年8月19日/24:00~25:00 【ゲームの種別】生活ゲーム 【ゲーム時間:消費マイル】 ・1時間:20マイル×1時間 【予約の有無】有り(10マイル) 【召喚ACE】 ・ぽち王女:非滞在:10 ・矢上爽一郎(個人ACE):消費マイル0 【参加プレイヤーの食糧消費】3マイル×3人 【合計消費マイル】計49マイル 【参加者:負担するマイル】 32:越前藩国口座:-23マイル 32-00622-01:セントラル越前:越前藩国:-0マイル:入学済 12-00259-02:KBN:土場藩国:-3マイル:入学済 12-00265-01:矢上麗華:土場藩国:-23マイル:入学済 セントラル越前@越前藩国 の発言 イベントですが、ぽち姫のお見舞いに行きたいのですが、まだ詩歌藩国の病院に入院中なのでしょうか? 芝村 の発言 ええ セントラル越前@越前藩国 の発言 了解いたしました。では、お見舞いでお願いします。 同行者の方を呼ばせていただきます KBN が会話に参加しました。 矢上麗華@アイテム図鑑 が会話に参加しました。 セントラル越前@越前藩国 の発言 お呼びいたしました。 KBN の発言 こんばんわ。よろしくおねがいします。 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 こんばんは。本日はよろしくお願い致します。 セントラル越前@越前藩国 の発言 よろしくお願いいたします。 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 あ。毎度恒例になりそうですが、ゲーム始まりましたらPLACEの記憶読みます。 世界情勢、越前、土場、その他気になる事があればそれを詳しく読みたいと思います。 芝村 の発言 はい。 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 よろしくお願い致します 芝村 の発言 2分待ってね セントラル越前@越前藩国 の発言 はい。よろしくお願いいたします 芝村 の発言 /*/ 芝村 の発言 ここは病院だよ。 芝村 の発言 温かい。 芝村 の発言 ストーブがあちこちで使われている 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 暑くないですかそれ? セントラル越前@越前藩国 の発言 北国だからですか? 芝村 の発言 気温は27度。外よりは5、6度高いね KBN の発言 「室温これで薄着ですごすんだな・・・」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「高位という訳かな」 芝村 の発言 ま、夏でこれだ、なかなか大変だよ セントラル越前@越前藩国 の発言 r:受付を経由してぽち姫の病室に向かおうとします 芝村 の発言 はい。 芝村 の発言 控室に一度入れられた。 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 #世界情勢とか気になる事は読めませんでしたか?>PLACE KBN の発言 フヨフヨ セントラル越前@越前藩国 の発言 手を握ったり開いたりしています 芝村 の発言 特には。でもまあ、クーリンガンで警戒してる 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 不安そうに爽一郎の顔見てます 芝村 の発言 爽一郎:「出るならジェントルラットとかだろう。きにするな」 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「うん・・そうだね。あ。紹介がまだでした。越前さんと元JAMさんです」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「お初にお目にかかります。越前藩国藩王、セントラル越前と申します。麗華さんにはいつもお世話になっております」>爽一郎さんに 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 2人を紹介します 芝村 の発言 爽一郎:「松井総一郎から、聞いています」 KBN の発言 (「経済戦争おつかれ!」とかいったら鬱るのかな?)と思いながらフヨフヨ浮いてます セントラル越前@越前藩国 の発言 「この度の霊薬の件、誠にありがとうございます。……これで良くなってくれていれば良いのですが」>爽一郎さん 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「フシミさんからもお礼の言葉を預かってます」>爽一郎 芝村 の発言 爽一郎:「いえ。実のところ……妻から散歩ついでに言われ」 芝村 の発言 爽一郎:「ですからお礼はいりません」 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「妻・・・」赤い顔してます 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「・・姫の様子はどうなのかな?」 芝村 の発言 爽一郎:「さあ」 KBN の発言 「待たせすぎだからセキュリティーの責任者の個人情報をあとでばら撒いて来い」>越前 セントラル越前@越前藩国 の発言 「KBN、めっ!」 芝村 の発言 ???:「おまたせしました」 芝村 の発言 目の前に白いサマーセーターの男が座ったよ。 セントラル越前@越前藩国 の発言 声のした方に向き直ります 芝村 の発言 笑ってる。 KBN の発言 「おまたされました」 芝村 の発言 ???:「ずっとまっていました」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「……」#軽く頭痛がします 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 r:邪魔にならに様に爽一郎の後ろに下がります 芝村 の発言 爽一郎は銃を抜いた。 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「クーリンガン・・・?」(こ小声) KBN の発言 「まつのかまたせるのかどっちだ?」 芝村 の発言 クーリンガンは笑顔だ。 芝村 の発言 クーリンガン:「なに。そこの犬にはこの間ひどいめにあったので、ひとつあいさつでもとね」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「蛇神のおわす詩歌藩国でここまで堂々と出てこられるとは思っても居ませんでした」 芝村 の発言 クーリンガンは微笑んだ。 KBN の発言 「思い当たる事ないんだが、なんかしたっけ?」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「……いや、あれだろ、あれ」 セントラル越前@越前藩国 の発言 KBN 芝村 の発言 クーリンガンは微笑んでいる。 芝村 の発言 KBNの頭が、なでられた気がした。 セントラル越前@越前藩国 の発言 「今日はご挨拶だけで?」 芝村 の発言 クーリンガン:「今日は何用で?」 KBN の発言 「お見舞い」 KBN の発言 「おまえさんにじゃないよ」 芝村 の発言 クーリンガンは笑顔だ。 芝村 の発言 クーリンガン:「どんな人に、ですか?」 KBN の発言 「そりゃあんた、お見舞いは病気の人に」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「病院に来て医者のお見舞いをする奴はいない」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「それとも、だからこうしてここに居る?」 芝村 の発言 クーリンガンは指をならした。 芝村 の発言 外で聞こえてた患者の声が消えた 芝村 の発言 クーリンガン:「誰を見舞いに?」 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 窓か何かから外の様子は見えませませんか? 芝村 の発言 ばたばた人が倒れている>華 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「人が・・・何をしたんですか」 KBN の発言 「質問に答えるとなんか嫌がらせされそうなので内緒」 芝村 の発言 クーリンガンは指を2回鳴らした。 芝村 の発言 また人が倒れた。 芝村 の発言 死体が起き始めた。続々と 芝村 の発言 クーリンガン:「さすがは第7世界人」 KBN の発言 「さすがは緑の人といっておこう」 芝村 の発言 クーリンガンは指を三回鳴らした。 芝村 の発言 下で悲鳴が聞こえはじめた 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 とめにはいります 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 間に合いませんか? セントラル越前@越前藩国 の発言 「……分かった。我慢比べは降参する」 芝村 の発言 クーリンガンはいい笑顔だ。 芝村 の発言 クーリンガン:「誰を見舞いに?」 KBN の発言 「おうさまやってるとたいへんじゃのう」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「私の妹だ」 芝村 の発言 クーリンガンはいい笑顔で指を鳴らして立った。 セントラル越前@越前藩国 の発言 「……嘘じゃないぞ」 芝村 の発言 クーリンガン:「褒美に永遠の命をあげただけさ」 芝村 の発言 クーリンガン:「くくく。そこの犬。またあおう」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「……何をした」 海法 が会話に参加しました。 芝村 の発言 クーリンガンは高笑いすると自爆した。 海法 の発言 庇います。 芝村 の発言 耐久で15、幸運で15 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 爽一郎をかばいます 久珂あゆみ が会話に参加しました。 緋璃 が会話に参加しました。 芝村 の発言 両方成功しないといけない。 海法 の発言 海法mk2,全能力19。 セントラル越前@越前藩国 の発言 ただの人ですが、誰かに庇って貰えればいいんでしょうか 海法 の発言 避け職人で+2です。 芝村 の発言 21、海法がかばった。 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 PLACEなんで私は「奥さん」適応で+2で22 芝村 の発言 成功した。 海法 の発言 ※高原さん呼んでるんだが、なぜか窓が待機中 KBN の発言 「言い返す前に逃げられたか、残念」 芝村 の発言 クーリンガンの首が笑ってる 芝村 の発言 クーリンガン:「しまったな。大物をのがしたか」 海法 の発言 「いつも是空が来るとは思うなよ」 芝村 の発言 首は病院の院長のそれに代わった。 芝村 の発言 動かなくなった KBN の発言 「とりあえず病室へ勝手にいどうしよう」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「…やはり。秘書官騒動の時からか」 海法 の発言 「えーと、こんばんは」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「医者も見舞っておけばよかった」 海法 の発言 「とりあえず、この場の全員が感染した危険があります」 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「皆さん、無事ですか?」 海法 の発言 「ISS経由で、解呪をお願いしましょう」 緋璃 の発言 「うぅ、相変わらず何が何やら」(といいつつキーホルダー握ります) KBN の発言 「むしろこの病院の中が感染」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「くそっ……」 芝村 の発言 ペンギンと晋太郎とアリアンが出てきた。 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 わぁ。 セントラル越前@越前藩国 の発言 #ぽちの様子を見に行きたいのですが……とりあえず待ちます 緋璃 の発言 「こんな時ばっかりごめんね」 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 ヤガミが揃った(笑) KBN の発言 #待つなよw 芝村 の発言 アリアン:「状況は?」 久珂あゆみ の発言 とりあえず 感染してる可能性があるので さわりはしません 「ごめんね」 海法 の発言 「クーリンガンの傀儡が現れて、自爆しました。この場の人間に感染している可能性があります」 セントラル越前@越前藩国 の発言 #感染してたらことだろうっ(血涙) セントラル越前@越前藩国 の発言 「ぽち姫がやばい」 芝村 の発言 ペンギン:「いや、良かった。すぐに呪いを解く」 緋璃 の発言 「お願い」 芝村 の発言 晋太郎が順番に呪いを解いた。自由に動ける 海法 の発言 「王女の身柄の安全もお願いします」 海法 の発言 (一安心) KBN の発言 「とりあえずこの情報を、どっかに速攻でながしといたほうがいいのじゃね?」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「くそっ……妹に何かしてみろ。いにしえのレムーリア仕込みの祈祷で滅してやる……」 矢上麗華@アイテム図鑑 の発言 「アメルダさんたちも無事かな?」 芝村 の発言 ペンギン:「・・・・・・」 久珂あゆみ の発言 他に病院内で不穏な動きなどないか調べられますか? 芝村 の発言 ペンギンは病室に顔出した。 セントラル越前@越前藩国 の発言 呪いを解いていただいたようなので、お礼もそこそこにぽちの病室に向かい…直線距離で行ったらトレースされて先回りされそうだな! 芝村 の発言 ペンギン:「ふむ」 芝村 の発言 A:ええ>調べる。感覚で10 セントラル越前@越前藩国 の発言 「あぁあああー! もうっ!」椅子の脚蹴飛ばして痛がってます。 久珂あゆみ の発言 素で24あります 久珂あゆみ の発言 竜眼いれると30 芝村 の発言 成功した。 芝村 の発言 罠があちこちにあるな。 久珂あゆみ の発言 「罠があります 気をつけて」 セントラル越前@越前藩国 の発言 「飛び出さなくてある意味良かった」 芝村 の発言 別窓でエース集めてこの辺処理しようか? 芝村 の発言 見舞いはそのまま続行していい 海法 の発言 ですね。 「お邪魔しましたー」 久珂あゆみ の発言 了解です 緋璃 の発言 はい 芝村 の発言 /*/ 続く